私と飛行機
相変わらずのヘロヘロ残業生活です。
子供が寝静まってから帰宅すると、
末っ子か作ったこんな作品が、
お父さんに見てもらいたくてテーブルの上に置いてあったりします。
そんな合間を縫って、
先日は
今年も家族揃って小松空港で航空祭を楽しんでくる事ができました。
私が何でこんなに飛行機が好きなのか・・・
とは言え、マニアックにその世界を追求している訳でもなく、
只単に『好き』ってだけなのですが・・・
その理由は、原因?は、
何となく自分でも分ります。
私が生まれ育った故郷の隣町には、航空自衛隊の岐阜基地が在ります。
ここは防衛任務を主眼とした基点としての基地ではなく、
私が幼かった頃は 『 航空実験団 』
平成に入ってからは 『 飛行開発実験団 』 と呼び名が変わった
研究開発の拠点なのです。
基地周囲には日本の航空産業・軍需産業の中心を担う様な大工場が在る
そんな街。
物心ついた頃から、頭上には様々な 『 ひこうき 』 が飛んでいました。
国産輸送機・練習機・近年ではF-2に代表される戦闘機・・・F4の改造型・・・
それらの初号機は皆、
ここで研究開発され、操縦士の訓練がされ、飛び立ってゆく。
中には日本に一機(当然世界に一機か)の研究機も。
少年の私の頭の中に最も印象に残っていて
金属音を伴ったその独特の飛行音が脳裏にこべり付いていて、
今でも鮮明に思い出されるのがマルヨンこと 『 F-104 』
アメリカから導入した1960年代最速航空機である超音速爆撃機です。
F-4ファントムの登場により一線から退くこととなって、
標的機としての役割を担う為
無人化する改造の研究がなされていたのが岐阜基地。
超音速ジェット機を、模型ではなく実機を、無線操縦で飛ばすんですよ!
本当に実用化したんだから!凄いっしょ!
F-104は小松の航空プラザにも保存されていますが、
私が少年時代に見ていたのは、
翼の先に取り付けられた燃料増槽タンクがオレンジ色に塗られて目立っていた
こんな姿(↓ネット拝借画像です)
これはホント、懐かしいなぁ。
あの 『 キー ン 』 とも 『 ヒューン 』 とも表現し難い
独特のカッコイイ飛行音が恋しい。
爆音じゃなくって・・・
そう、
あの音は、マルヨンだけ。
飛んでいる姿を下から見ていると、
翼の面積が他の飛行機に比べて極端に小さくて、
その音も相まって、本当にロケットかミサイルみたいだった。
もう一つ、
少年の心を捉えていたのが、
(これは今回改めて調べてみたら、自衛隊ではなく航空宇宙研究所
現・JAXAの事業だったそうですが)
低騒音短距離離着陸機『STOL』(Short TakeOff and Landing)
の実験機であった 『 飛鳥 』
川崎の(自衛隊)輸送機C-1をベースに研究開発されたもので、
ずんぐり太った巨体に、
通常のジェット機と異なり翼の上に乗せられた大きな四発エンジン。
大きなお腹を見せながら頭上を旋回してゆく特異な姿に、
私の目は釘付けになったものです。(↓ネット拝借画像です)
翼上面からフラップに沿って流れる下方への気流を強く利用する事によって
大きな揚力を得、極めて短い滑走路での運用が出来る。
量産化により地方空港を結ぶ航空路が整備される事に期待が掛かったが、
コスト面で断念されてしまった。
現在は、各務原の航空宇宙科学博物館に保存されていて、
機内にも入って見学が出来ますよ。^^
そして、航空祭。
ブルーインパルスも、
物心付いた頃から、
小学生の時も、中学の部活の合間にも、
田圃の中のあぜ道から、事前の予行練習から、毎年の様に眺めていた。
当時はまだ機体がT-2で細長く、
(これも小松の航空プラザに実機が保存されています)
ショーで焚くスモークは色付きだった。(↓ネット拝借画像です)
スモークは、高温の排気の中へ油(燃料油ではなく、機械用の普通の油)
を噴射することによって作り出されているが、
染料入りの油は使用直前まで混ぜていなきゃならないとか、
油のタンク内の掃除が大変だとか、染料そのものが高い(高価)とか、
色々と面倒な問題があったそうで
いつの頃からか使われなくなってしまった。
『 年に一度の航空祭 』 が楽しみなのは、
子供だったあの頃も、今も、
一緒。
『 飛行機 』 に興味があって大好きなのは、
あの頃から変わらない。
エンジン音が無くたって、
地元福井空港で練習をしているグライダーの姿を眺めているだけで、
嬉しくて、羨ましくて、
何だかワクワクする。
空を見上げていると、
幸せなんです。
私。
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