子供の頃、
ザリガニをとったり、カブトムシをとったり、魚をとったり、
神社の大屋根に上ったり、縁の下に潜ったり、
神社裏の森や近所の資材置き場の空き地に秘密基地を建設したり・・・
日々、わくわくする事は、
毎日、沢山在った。
でも、
それは、
刹那(せつな)の事。
今、今日、明日のわくわくではあったが、
先々の目標や夢を抱かせる事などでは無かった。
子供の頭の中は
短いスパンの構成パーツで組み立てられている。
目の前に在る事が全て。
只、あれはあれで、本当に素敵な日々。夢中に過ごした幸せな想い出。
そんな私に
今で言う『モチベーション』が芽生えて、
自分の生活・生き方・ものの考え方に大きな変化が起きた出来事がある。
1985年~86年、14歳中学生の秋~冬。
もともと自然現象や科学に興味はあったが、
中学生になってから特に、星空・宇宙への興味が大きく膨らんでいた。
なぜそうなったのか良く憶えてはいないのだが、
当時犬を飼っていて、私が主に面倒を見ていたので
毎日夕方散歩させながら
黄昏~星が瞬き始める時間帯の空を見上げていたのが影響したのかもしれない。
お小遣いから工面して天文雑誌を毎月買うようになり、
知識欲もどんどん膨らんで・・・
太陽のエネルギーが核融合反応で産み出されていると知って驚いて、
(水素原子4個でヘリウム原子1個が作られ、
その際減った質量分が莫大なエネルギーとして吐き出されている)
星(恒星)は、大きい程持っている燃料が多いのだから長く燃えそうに思うが
実はその逆で
質量が軽い星程長生きで、重い星ほど激しく燃えて強く光り短命。
軽い星は燃え尽きると再び宇宙の屑となって輪廻するのだが、
重い星の中で最も最たるものの死後は
自ら生み出す大き過ぎる重力故拡散できず、
どんどん重い物質へと融合を続けて、自らの重さで潰れてゆき、
その成れの果ての姿が、光すら飛び出せない重力空間のブラックホール。
ブラックホールってマンガの空想じゃなくってリアル宇宙の話なんだ!
当時、ビッグバン説が一般的に広がって持て囃され始めた時期でもあったので
膨張宇宙や光速度やブラックホールの関連から
自然な流れで、必須で?
アインシュタインの相対性理論へと繋がって、
『初心者でもわかる相対性理論』的な書籍を読み耽ったりして、
見えない宇宙の奥へ、その壮大な時間の流れへあれこれ思いを馳せるのが
更に面白くなってきて・・・
(随分話が逸れましたが)
そんな私の元へ、
マスコミが大々的に煽って登場してきたのが
『 ハレー彗星 』
1985年の天文雑誌は、とにかくハレー彗星一色だった。
彗星は、その多くが地球などの惑星と同じく、太陽を中心に周回する天体だが
その軌道はほぼ円形の惑星と違って極端な楕円で、
地球に近付いて姿が見られるのは、太陽近くへと戻って来た時だけ。
太陽系のかなり外の遥か遥か遠くまで旅をしてくるものもいて
公転周期200年以内のものを短周期彗星と呼び、
それ以上のものを長周期彗星として区別している。
(地球の公転周期は当然1年だよね)
ハレー彗星の公転周期は約76年。
人の寿命に近いその数字に加え、
過去の記録、史実の記述などから、
今回も大きく尾を引くほうき星の姿が肉眼でも見られるのではとの期待から
『 一生に一度の大彗星を見逃すな 』 的な特集記事が多く見られ、
各種メディアを賑わせていた。
Fumi少年は、これにまんまと釣られてしまって
わくわくが止まらない。
ハレー彗星は85年の晩秋から見え始めたのだが
太陽へと向かってゆくこの段階ではまだ光度が低く、望遠鏡でしか見られない。
それまで天体望遠鏡はマイナーな光学機器であったこともあって
すこぶる高価な存在だったが、
当時の大ブームに乗って、おもちゃメーカーのTOMYから
廉価版の天体望遠鏡 『 ファミスコ60S 』 が発売された。
(口径60mm 焦点距離400mm 定価12,800円 三脚別売)
本体はなんとプラスチックという思い切った(ちゃちな)代物だったが
これが侮るなかれ、小西六写真工業(後のサクラカラー、コニカ~コニカミノルタ)
との共同開発品で、値段の割には結構高性能なレンズが使用されていて
早速コレを使った天体写真が雑誌に投稿をされたりし、
意外に高評価で、各方面で大いに話題となっていた。
Fumi少年はコレが欲しくて仕方がない。
とはいえ、
中学生がお小遣いで容易く手の出せる額ではない。
かといって何ヶ月も何年も掛けて貯金する猶予なども、無い。彗星行っちゃう。
結局、親に頼み込んで、お年玉返済の前借りで
11月終わりか12月の頭位に買って貰ったと記憶している。
しかも、雑誌広告の通販で、現金書留で。
今の様に大型ショッピングセンターや大型玩具店が身近な存在ではなく、
何でも店頭に並んでいて直ぐ手に取れる事など無かった時代。
天体望遠鏡ならカメラ屋などの光学機器を扱う店で、
高価なおもちゃなら『〇〇模型』とか『〇〇玩具』なんて店で、
カタログ見ながら注文して、引いてもらう時代。
おそらく、人気商品は品薄で
近場の店で尋ねても既に入手困難だったのだろう。
毎日急いで学校から帰ると、母に荷物が届いたかを確認すること幾日。
1週間以上掛かったのかもしれない。
白いビニールひもで縛られた荷姿を、今でもおぼろげながら思い出せる。
そりゃもう、相~当~嬉しかったんだろうなぁ。
そうして届いたその日から、
毎日毎晩、嬉々として外で空を覗き込んでいた。
晩飯だと呼ばれて家に入り、食事や宿題を終えたらまた外へ出る。
ハレー彗星は勿論、
初めて自分の目で見る月のクレーターの美しさに大感動し、
土星の環が図鑑の写真じゃなくて眼前に見られることに感動し、
光り輝く点だと思っていた金星が月の様に満ち欠けする姿だと知り、
教科書の中の話だった木星のガリレオ衛星を自分でも観測し、その運動をスケッチに記録してみたり・・・
星雲を探し、星団を眺め・・・
なんてったって宇宙は広大だから、きりが無くって、
いくら隅々まで覗き続けても、全く飽きることは無かった。
毎日毎晩。
真冬の話である。
近日点通過(太陽最接近)前のハレー彗星は、日没後の西の空に見えた。
年を越し2月に入ると、太陽の向こうを回った彗星が再び見え始め、
いよいよ尾を引く姿が期待されるのだが、
太陽を真ん中に反転するような位置関係から想像が付く通り、
近日点通過後にハレー彗星が見られたのは
夜半過ぎ~明け方、日が昇る前の空。
2時や3時、遅くとも4時前には目覚ましで起き、
起きたら先ず、使い捨てカイロの封を切って温める。
家族を起こさない様、物音を立てない様に、そうっと準備をして、
機材を抱えて家を出て、黙々と歩く。
彗星が見える高度は余り高くなかったので、観察には
東~南の空が出来るだけ地平線近くまで開けていて、街灯が少ない事が条件。
住宅街を離れ、田圃の真ん中へと、
数百メートルの道をてくてくてくてくと歩いて通った。
使い捨てカイロは自分の体を温めるのではない。
冷えた夜の空気では、直ぐにレンズに夜露が付いて視界が白く曇ってしまう。
かといって、特殊コートのされたレンズを布や手で直接拭く訳にいかないので
鏡筒のレンズの周囲を、タオルに包んだカイロで覆って保温するのだ。
そうやって、少しでも長く夜露が付かない様にして、
少しでも長く星が見られるように。
暗い夜中でも自分の吐く息が白く感じられて、
みるみる手足の先から冷えてくる。
それでも夢中になって望遠鏡を操作して、レンズを覗き続けた。
さすがに起きられない日もあったが、天気さえ良ければ毎晩目覚ましを掛けた。
玄関を出れば、田圃の真ん中へ向かう道すがらも満天の星が見られる。
よく、『冬の星座』とか『夏の星座』などと言うが、
あれは、見やすい時間、つまり夜8時とか9時を基準にした感覚。
夜明け前までには地球の自転で随分と星座の位置が進むので
白い息を吐きながら眺めていたのは『夏の星座』だった。
厳冬期の話。
東の空から薄明が感じられてくるまで星空の下にいられれば一番幸せだが、
大抵いつも、レンズが曇ってゲームオーバー。
夜明け前、また、てくてくてくてくと歩いて帰って、布団の中へ潜り込む。
ハレー彗星が遠ざかって暗くなるまで、3~4週間程
この、明け方の空中心の生活が続いた。
はたしてあの頃の私は、学校でまともに授業を受けていられたのだろうか?
残念ながらハレー彗星は、事前の評判ほどの大彗星にはなってくれず、
雑誌の写真で憧れた様な雄大な姿を見ることは出来なかったが
彗星が遠ざかった後も私の心がわくわくする感じが収まる事はなくて
その後も星を見る事には全く飽きず、益々宇宙や科学への興味が深まった。
そして、そんな日々を過ごす内に
将来の自分の進みたい道や職業について思いを馳せる様になって
当時の担任が理科教師だった事もあって、
理系の進路にはどんな道、選択種があるのか?
先生の高校・大学時代~就職に至る具体的な経験なども聞いたりしながら
何度か相談にのってもらった。
特定の施設をターゲットに博物館学芸員を目指す道、
理系学部へ入って、残り、研究へと進む道、
理系企業への就職によって、研究開発部署入りを目指す道
・・・等々、その選択種は更に様々に枝分かれする。
未だ漠然としてはいたものの、
中学生の私が、初めて自分の将来に対して夢を持ち
それに向かってどうすれば良いのかを考えるようになったのだ。
あのハレー彗星ブームを、
只雑誌の中やテレビのブラウン管を通して眺めていただけだったら
是程までには影響を受けなかっただろうし、
ここまで大きく少年の心が動かされることはなかったと思う。
何よりも、『自分の目で宇宙を覗いてみた』 事が大きい。
自分の目で見て、実際に感じた経験。
そして、自分の意志で行動し、更にその先を見ようと思い、進む心。
やってみて初めて・・・だ。
中間期末毎に学内順位が発表され、高校受験への実感が徐々に増し、
夢を見るよりもその夢の為の勉強をしなければならないと迫られるあの時期。
大切な限られた時間の真っ只中に、私に天体望遠鏡を買い与えてくれて、
ろくに机に向かわずに空ばかり見ている日々が続いても、
朝まともに起きられず大あくびしながら登校してゆく私に、
何一つ文句小言を言わなかった私の親は、偉かったなぁと思う。
結果は勿論自分の責任であるのだが、
夢の先には現実が在って、結局私は学者にも研究者にもなっていない。
望んだ通り理系職へと進む事は出来たが、
日々様々な事に忙殺されながら仕事をする
極々一般的なサラリーマン庶民になった。
されど今でも、
寒空の下で星を眺めていたあの頃と、心の構造は全く変わっていない。
わくわくする感じに突き動かされて、
そのわくわくが在る方へ行ってみたくて仕方がない。
やってみて、行ってみて、見てみたい。そんな単純なモチベーションで
遊びや挑戦をする。
そんなのが好き。
『大の大人が』 って思われるような事でもいい、
楽しいと思う事、興味がある事を目一杯楽しんで、ヘトヘトになって、
旨いビールが飲めればいい。
そんな人生を、続けていたいなぁ。
次にハレー彗星が戻ってくるのは2061年。私は90歳だ。
それまで、今のままの自分で遊び続けていられたら、本当に幸せ。
子供達はもうすぐ、
あんな頃の私の年頃だ。
ゲームばっかりじゃなくて、
もっと自分が突き動かされる様なものに夢中になって欲しいなぁ。
大人になっても思い出されるような事。
ところで・・・
この秋から来年に掛けて、『 アイソン彗星 』 がやってきます。

太陽への接近距離が極めて近いので、
強く輝いて大きな尾を引くのでは?と期待されています。
この彗星は周回軌道でない放物線で宇宙空間へ飛び去って行ってしまうので
見られるチャンスは今回限りです。
( 詳しくはコチラ → 国立天文台のHP )
天文少年はその後、
自分でそれなりの額が稼げるようになったので
大きな立派な天体望遠鏡を手にすることができましたが、
結婚当初手狭な団地へ引越した際に押入れの奥へ仕舞い込んでしまい
その後子供が生まれたりして益々日常に精一杯な日々になって、
殆ど使うことがなくなってしまっていました。
この晩秋は、
またアレを引っ張り出して、
子供に月でも見せてあげようかな。。。
おしまい。
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