ロバパンから、昭和のお店の想い出。
同郷の先輩であり友人である方のブログに『ロバパン』の記述があり、
懐かしくなって、思わずコメントを入れた。
ロバのパン屋・・・
福井ではどうだか知らないが、
私が生まれ育った時代の岐阜では、時々やってきた移動販売である。
正式名は知らないが、『ロバパン』と呼んでいた。
私が本当に幼い頃、おぼろげな記憶の中では、
紅白のカラーリングの荷車?馬車?を、
実際にロバが曳いていた様に憶えているが・・・定かではない。
小学校の低学年位になると、間違いの無いはっきりとした記憶になって
この頃にはロバが馬に代わっていた。
(ぱっか、ぱっか、ぱっか、ぱっか・・・ひぃぃ~ん♪)(こんな感じの前奏)
ロバのおじさん ちんからり~ん♪
ちんからりんろん やってくるぅ~♪
ジャムパン ロールパン できたて やきたて いっかが、で、すぅ~♪
チョッコレトーパンも♪あんパンもぉー♪
なぁんでもあります♪ちんからりぃ~ん♪
(ちゃらっちゃ、ちゃちゃっちゃ、ちゃちゃっちゃ・・・・・)
そんな感じの歌を流しながら、おじさんが馬車を操りながら町内を流してゆく。
その音楽につられて、
母親にせがんで小銭を貰い、玄関を飛び出して駆けて行った想い出。
隣の町内との境の、あの四つ角で馬車に追いついて、
おじさんがコッチに気付いて停めてくれて、馬車を降りる。
なんでもあります♪・・・と歌っていた割には、
ジャムパンもロールパンもチョコもあんこも、あった記憶は無くて・・・
屋根付きの荷車に並んでいたのは、数種類の 『蒸しパン』
それでも一生懸命、どれにしようか悩んで選んだ想い出。
選んでる間にも、道草を食おうとする馬が歩いてしまい、荷車が数メートル進む。
それについて歩きながら・・・
おじさんがイラつくように手綱(ハミ)を引っ張って、馬を止めようとしていた。
そんな情景を鮮明に覚えている。
更に、記憶の続きは・・・
荷車にブリキのバケツがぶら下げてあって、
おじさんが、馬の落し物(排泄物)をスコップですくって
バケツに放り込みながら接客していたこと・・・。
そんなお店だったけど、
あの音楽が聴こえて来ると、嬉しくなったものだ。
思えばあの時代、コンビニなんて勿論未だ登場していない。
実家から一番近くにあったのは、お宮さんの鳥居の脇にあった万(よろず)屋。
皆、『コウタロウ』と呼んでいた。
看板には『赤堀商店』とあったけれど、
「アカホリ」と人が言うのは一度も聞いた事が無い。
コウタロウは、ここの店主の爺さんの名だ。
お茶っ葉や醤油が切れたりすると、
「コウタロウ行ってきて!」と、おつかいに行かされた。
駄菓子屋も兼ねていた万屋だったので、30円、50円とかのお駄賃が嬉しくて行った。
コウタロウは、私が中学生になるまでは間違いなく生きていたが、
終ぞ一度も洋服を着たのを見たことが無い。
朝はいつも自転車の荷台にダンボール箱をくくりつけて、
着物の裾をはだけさせながら中央市場まで買出しに行っていたが、
パンツではなくて、ふんどしだった。そんな粋な爺さん。
あまり笑わない、どちらかと言えば怖い爺さんだったが、
お宮へ遊びに来る子供の溜まり場だった。
食材の買出しは、隣の校区にあった『日日(にちにち)スーパー』
スーパーと名乗っていたが、今思えば、どう見ても八百屋だ。
現在の標準的なコンビニよりも狭かったかもしれない。
当時はスーパーのカゴなんて無くて、各々買い物籠持参が当たり前、
今で言うエコバッグだ。
母はいつも、その買い物籠に、厚さ1cm程の帳面を1冊入れて買い物へ行く。
レジではお金を払わず、
お店のおかみさんがソロバン弾いて帳面に何やら書き込むだけだった。
月末にまとめて払っていたのかな。
月一だったのか?頻度は分からないが、
幌付きの小さなトラックに荷物を満載した金物屋?がやってきた。
『御用聞き』の商売形態だ。
今と違って昼間は玄関に鍵など掛けていないから、
ガラリと引き戸を開けて、「まいどぉ~!」と叫ぶ。
鍋、フライパン、おたま、たわし、タオル、洗濯バサミ、石鹸、洗剤、物干し竿・・・
生活の中で必要になる消耗品、雑貨類は、このおじさんから買っていた。
米も酒も、基本、『御用聞き』の商売形態だった。
前掛けをしたおじさんやおにいちゃんが「まいどぉ~!」とやってくる。
衣類は、着物や礼服は勿論だが、パンツや肌着、靴下、父のワイシャツなども、
ショウノウ臭い呉服屋へ買いに行っていたのを憶えている。
思い起こせばどれも、
『 店 』 は、顔と顔の付き合いだった。
どの店主も、幼い私の顔をちゃんと覚えていてくれたものだ。
まあ、
どれも、
半ばおぼろげな記憶の時代。
いつの間にやら・・・
新聞広告が入るようになって、
いつ頃からだったのかは・・・憶えていないが、
今みたいな大きなスーパーマーケットが出来て、
ホームセンターが出来て、
ショッピングモールが出来て・・・
ネットでポチッとですか。
時代はホント、
変わったなぁ。
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コメント
自分もロバのパンは知ってますよ(^-^o)
曲と歌詞もしっかりと覚えていて今でも歌えます
パンというより蒸しパンで鬼マンの様な感じですね
チョコレートパンに餡パンに~♪
なんでもありますピーヒョロリン~♪
富山の薬売りが紙風船を持ってきていたのも記憶があります
もう逝ける昭和の化石です(;´Д`)
素敵な先輩を持って幸せですね(^-^o)
投稿: マサヒ | 2012年2月15日 (水) 20時47分
こういった昭和の頃って、なんでも許せるような雰囲気があって暖かい気持ちになりますねぇ~
今なら「衛生的にどうなんだ?!」って話しになるんでしょうが、
クルマを引くのにロバやウマは当たり前だったのでしょうねぇ~
顔が見えない商売:自販機が一番多い国は日本だとか・・・。
あ!最近は自販機も勝手にしゃべってくるケドね
投稿: フレディ・M | 2012年2月15日 (水) 22時35分
マサヒ化石先輩♪(^-^o)
またまた懐かしいのが来ましたねぇ。『鬼マン』♪
角切りのサツマイモが入った蒸しパンですね。
最近・・・いや、もうず~っと何年も食べてないなぁ。
なんだか無性に食べたくなってきましたぞ。
薬売りですかぁ~来ましたねぇ。。。
色々と記憶が湧いてきますね
昔ながらの小さなお店って落ち着きますよね。
マサヒさんちのご近所は大型ショッピングセンター目白押しで、
完全に平成化してますね。(^^)
投稿: Fumi | 2012年2月16日 (木) 09時03分
フレディ・Mさん、おはようございます。
昭和はなんだかほんわかしますよねぇ。
私ももうオッサンだから?(^^;)
あんな時代って、クレーマーとか変なトラブルは無かったんじゃ?とか思います。
食いモン売るのに馬糞の処理(笑)
今じゃありえない設定ですが、当時は何とも思いませんでした。^^
おおらかだったんですねぇ。
自販機が一番多い = やっぱ治安が良い
ってことなんでしょうか?
自販機も、関西弁のとかありますよね(笑)
平和だなぁ。^^
投稿: Fumi | 2012年2月16日 (木) 09時09分
はじめまして。
5年以上前の投稿にコメントですが、お許しください。
実はこの記事を最初に拝見したのはおそらく4年位前のことかと思います。
美濃加茂にある昭和村に行ったときに、ロバのパン屋が出店しており、あの曲が流れていました。
ロバのパンの簡単な資料館のようなものもあり、ピンク色のチョコレートパンを食しながら、懐かしさやら嬉しさやらで、嫁さんを差し置いて一人テンションが上がっておりました。
帰宅後、ネットでロバのパン屋を検索して再び懐かしさに浸っていたときに、このブログに辿り着いたわけですw
「あっ、この方、同じ岐阜の方なんだ~」
と思いつつ記事を見ていると、赤堀商店、ふんどしの爺ちゃん、神社、日日スーパー、御通帳、トラックの金物屋...
最後まで読んだ後に、知らずのうちに涙が出ていました。
私の子供の頃の思い出そのままでした。
すべてが懐かしく輝いて感じます。
まるで私が書いたかのような錯覚さえ覚えるほどでした。
何回この記事を拝見しても目頭が熱くなるほどです。
その後、コメントを書こう書こうと思いつつ、何年も経ってしまいました。
ブログはいつも勝手に拝見させていただいております。笑
長文失礼致しました。
投稿: DIJ | 2018年1月 6日 (土) 00時14分
DIJさん、ありがとうございます。
はじめまして。
というか、
えっ?ひょっとして同郷の方なのでしょうか。
あの神社には昔
太鼓橋があって、川が流れていました。
あの橋の下へ入ってザリガニ釣りや魚とりをしていたあの時代、
神社の裏の森はもっとうっそうとしていて
カブトムシやクワガタも採れました。
今、初詣で訪れると、昔とは少々変わってしまった景色に
寂しさもありますが、
あの頃の想い出は色褪せず、鮮明に思い出されます。
大人になってしまうと色々ありますが、
毎日がわくわくだけで出来ていた様なあの頃は、
本当に輝いていますね。
私は故郷を離れて住んでいますので
尚更、あの頃の想い出は大切です。
DIJさんのコメントで、それを再確認したような気持ちです。
ありがとうございます。
投稿: Fumi | 2018年1月 6日 (土) 20時11分
言葉足らずでした。完全に同郷です。笑
何気なく読んでいたら、日日スーパーやら、金物屋やら、赤堀商店やらが出てきてびっくりしましたよ。
あの神社といえば太鼓橋ですよね。急勾配で、小さい頃はなかなか登ることができなかったことを覚えています。
あとは神社の手前の牛舎の匂いとか、丁字路にある山口?だったかのお好み焼きとか、いろいろ思い出されます。
確かいつも、ロバパンも金物屋も土曜日の午後に来てたような気がします。魚屋も軽トラで回ってたかな?
私は情けないことに、ずっと地元での小さい世界の中で生きていますが、それでも同じような(というか全く同じw)思い出をまさかネットの中で共有できるとは‥‥何か不思議な気持ちです。
投稿: DIJ | 2018年1月 6日 (土) 23時28分
(笑)な、なんと!
驚きました。懐かしい記憶が更に発掘されたような。^^
うんうん。
牛舎ありましたねぇ。
そうそう、あのお店、山口って言ったと思います。
あそこのお好み焼きや味噌おでんを食べた記憶があります。おばさんの顔もしっかり思い出せます。
太鼓橋は、私も小さな頃は中々登れなくって、
一気に駆け上がるように這い上がる上級生に憧れてました。
私が小学生の頃は、まだ土曜日が半ドンだったので、
学校から帰って母親と一緒にお昼御飯を食べていました。言われてみれば、土曜の午後に移動販売や御用聞きが来ていたかもです。
ホント、懐かしいです。
不思議な感じですね。^^
投稿: Fumi | 2018年1月 7日 (日) 01時07分