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2012年2月26日 (日)

累代 私の義務

今日は某鉄道会社のバックヤードで仕事。

昔は全国を股にかける廻船や大陸との交易などで表舞台だった港町の駅。

駅の裏手奥の広大な敷地、人気の無い場所には

蒸気機関車時代の給水塔や、転車台が残されている。

Img_0839

草が伸び放題で、まるで手入れもされていない奥の奥に、 こんな物があった。

Img_0836

蒸気機関車さよなら記念・・・昭和46年・・・。私が生まれた年だ。

  

断続的に雪が舞う中、

種々の条件や遠方との通信もあって、待ち時間が度々挟まれる。

心底凍えて辛かった。

  

耐える時間。今日は色々と妄想、哲学をした。

  

最近生活に占める仕事の割合が高い。

仕事・・仕事・・・仕事・・・・・

辛いのは間違いないが、

私は基本、仕事自体は然程嫌いではない。苦痛ではない。

働く自分に、ちゃんと誇りを感じられる。

  

現在、私は電気関係の仕事に携わっているのだが、

学校では全く別の分野、化け学を学んでいた。

色々あって、初めて就いた職場で電気についての勉強をし、資格をとった。

私の人生に、仕事に対する考え方に、

大きな影響と力を与えてくれた当時の親方の言葉。

「〇〇君、時代に波はあっても、電気は絶対にこの世から無くならんでな。

ペンチとドライバー1本あれば生きていける技術を身に付けさせてあげる。

どんな事になっても、

手に間違いない職があれば、ちゃんと家族を養えるから。」

社会人となった私の、第一の恩人である。

その言葉通り、私はちゃんと技術者に育てて貰えた。

その親方に見送られ、ステップアップ的に今の職場へ転職し、

恩人の予言通り、一労働者ながらも、ちゃんと家庭を維持できている。

私は、花形ではない自分の仕事に、

自信と誇りがある。

  

私の父親は退職まで、

工作機械や産業ロボットの様な物を作る会社の現場の中心で働き続けた。

母からも折々に聞かされている。よく働いた男だ。

手先を使うこと、体を動かすこと・・・辛い事からも逃げず、真面目に地道に働く。

それが当たり前の姿だと納得している。

日曜大工が得意なのも、

全て父親譲りだ。

  

私にとっての仕事は、

極論を言えば、

家族を養う為の手段でしかない。

しかし、それだけで充分な意味がある。

主人の果たすべき最低限の義務は、水揚げを持ち帰って家族を養うこと。

  

そして、

父親としての義務は・・・

  

この世に生まれ、生きるものの役割は、

『次の世代へ繋ぐ事』 だと思っている。

それが仕事であれ、趣味であれ、遊びであれ、知識であれ、

何にせよ、

それぞれが置かれた立場、自分なりに突き詰めた世界において、

自分が残せる、残すべきことを次の世代へ残す。

それが義務であり、喜びであり、生き甲斐であり、

自分が命を閉じた時に、自分の存在意義をこの世に刻む手段だと思う。

  

どんなに楽しくて充実した時間を過ごしたつもりでも、

自分なりの世界をつくって名を残した者でも、

只自分のやりたい事だけやって、

自分の欲求を満たす為の人生を送って燃え尽きたヤツは、

カスだ。

時代の中での存在意義は薄い。

  

私の子育ては、

ケツを叩いて勉強させて社会的地位を得る手助けをする事ではない。

そんな事に興味は無い。

生きる術を身に付けさせること。

どんな事でもどうにかする腹と、どうにか出来る腕。自信。

それを身に付けさせてあげること。

子供が一人立ちしなければならない時が訪れたその時に、

自分なりの人生を自信を持って歩める人間にする。

それが親の目指す目標。

  

伝えるべき事を残し、

次の代を育てる。それが大人の役割。

私の恩人の親方がそうしてくれた様に、

次の代へちゃんと伝える。

  

そして、

若者の義務は、

ちゃんと受け継ぐ事。  

先輩の言うことを聞けないヤツは全く成長しない。

独学、独りよがりには限界がある。

  

幸い、

私は恵まれている。

親も、仕事も、遊びも、素晴らしい先輩が身近に居て、いくらでも学びができる。

それらをちゃんと学び取り、

自分がそうして貰った様に、

次の代へ伝えることが出来る自分になりたい。

そうしなければならない。

  

今、

40歳。

今年は厄年だが、

身辺に色々と変化があり、

色々と自覚を新たにしている。

  

四十而不惑

五十而知天命

六十而耳順

七十而従心所欲 不踰矩

  

四十才で戸惑うことがなくなった

五十才で天命を悟った

六十で何を聞いても動じなくなった

七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった

  

私はようやく大人になったばかり。

町内の集まりなどでは未だに『若い衆』でひとくくりの中だ。

本当の自分の人生はこれから。

  

本物の大人を目指して

頑張るよ。

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コメント

>カスだ。
>時代の中での存在意義は薄い

ご立派なんですね・・・

投稿: カス | 2012年2月27日 (月) 12時32分

あなた何様?

投稿: カス2号 | 2012年2月27日 (月) 12時35分

私もドキッとするところはありますが(笑

堂々と主張出来るのは日々の努力や反省の積み重ねからですね(^^)
Fumiさんは自分の信念を貫きながらも他人の心に敏感な人だと思います

これからも「らしさ」を失わずに(^^)

あっ、FumiさんB型でしょ~?(*^_^*)  

投稿: みっちゃん | 2012年2月27日 (月) 14時10分

確かに、かなり傲慢な物言いであったと反省しております。
いつも見ていただいてありがとうございます。
>カス・カス2号

投稿: Fumi | 2012年2月27日 (月) 15時45分

みっちゃん、こんにちはぁ。

な、なぜドキッ?^^;

私はなぜか?30歳過ぎるまで自分の血液型を知らずに育ちました(爆)
それまではず~っと、周囲からは楽しい変わりモンのAB型だと言われていましたので、
自分でもそのつもり(笑)で、今とは異なる人格?だったのかも?^^;

仕事上の書類の関係で調べてみたらB型と判明(笑)
以来、こんな性格になってしまいました(TT)
なんでB型って悪く言われるコトが多いのだろう?

投稿: Fumi | 2012年2月27日 (月) 15時52分

ご自分をそういうふうに見つめ直せることができるFumiさん、
とっても尊敬イタシマス
私なんか見つめなおすどころか、いまだに不惑の渦中で・・・

人それぞれにいろんな思いや迷いがありますよねぇ~。。。

「傲慢な物言い」などではありませんヨ


ちなみに、血液型で人をひとくくりにする表現は、
私的には大間違いだと思っております・・・。
同じ血液型でも育った環境でいかようにも違いが出てくるものだと強く思います・・・

投稿: フレディ・M | 2012年2月27日 (月) 22時11分

フレディ・Mさん、こんばんは。
ありがとうございます。

フレディさんは既に随分先のステージに進んでおられますが、^^
私はまだまだ今から・・・
そろそろ子供が反抗期~思春期の入り口に差し掛かってきましたが、
そんな年代の父親って、どうしたって働き盛りのど真ん中。
色々と責任が出たり忙しくなる時期に重なるもので・・・
家庭に責任を持てば収入の為に自然と仕事のウェイトが増してしまって、
家族や夫婦の時間が減って思う様にならなかったり。
そんなのが続けば自分だって息抜きしたいし・・・
こうして父親って、
いつの間にか『家庭を顧みない』ってレッテルが貼られてしまったりするんでしょうかね~

って、こんなトコで先輩パパに愚痴を聞いてもらってる場合じゃないですか(笑)
すんません。^^;

ウチは妻がO型。私はB型。
当然子供は全員B型。
子供の悪いトコは全部私に似たんだと言われてしまうんです(--;)
そのくくり方は絶対におかしいですよね。

投稿: Fumi | 2012年2月27日 (月) 23時31分

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